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なんかで読んだか、どこかで聞いた話です。
ブッダになったという釈迦さんの話です。
かなりうろ覚えなんですが、たぶん「無我」という考えに通ずるものかと思います。
釈迦さんは流れる川を見て、その水はどこからが始まりなんだろう、と考えたそうです。
さらに考えていくと、全てのものは始まりも終わりもない、そして自分と他のものは本当は区別がつかないものだと考えたとか。
仏教が始まって世界に広まっていって、どんどん細かく分かれて宗派が生まれていきました。
それは、釈迦さんが考えたことと逆のことになっているように思います。
釈迦さんの考えたことによると、世の中のあらゆるものは、つきつめていくと区別がつかないもの、つまり1つだといえます。
1つだと考えることで、世の中の争いのいくらかは消えそうに思います。
もともと1つなんだから、争ってなんになるの?という感じで。
仏教は、日本だけでもいくつもの宗派に分かれています。
それでもうまくいっているのならいいですけど、そうではありません。
分かれるということは、何かに境界をつけるということです。
わざわざ、様々なものに境界を作って、争いを起こしています。
これは、仏教に限った話ではないですね。
他の宗教もそうだし、宗教でなくても似たようなことがあります。
人間は、何かにつけて境界を作って、そのせいで争いを起こしているようです。
私は、釈迦さんの考えを完全に支持しているつもりはありません。
宗派を問わず、仏教には面白くてためになるなと思う話もいくつかあります。
ただ、釈迦さんから始まったらしい仏教が、釈迦さんの「無我」の考えと矛盾しているところが納得いかないのです。
だから、仏教は好きになれないです。