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この記事は私個人の体験をまとめたもので、すべての人には当てはまらない場合があります。
医療に関する情報の精度はできるだけ高くするように努めておりますが、利用される場合はご自分で確認をお願いします。
遺伝子診断の略歴
2017/11/06
血液を採り、遺伝子診断を依頼しました。
結果がわかるまでに、1ヶ月くらいかかるとのことでした。
普通の静脈からの採血で遺伝子診断ができる時代なんですね。
2017/11/21
遺伝子診断の結果を主治医が電話で連絡してきてくれました。
スピンラザの治療を受けられるとのこと。
まずは、第1関門を突破です。
喜びがガーっときて、緊張がジワーっときました。
2017/12/04
主治医から遺伝子診断の結果を詳しく聞き、スピンラザの治療を受けることにしました。
実際に治療を受けるのは、来年になってからになりそうです。
自分の病気が遺伝子診断上で確定したこと
遺伝子診断の結果、SMN1遺伝子のコピー数が0、SMN2遺伝子のコピー数が3でした。
SMN1遺伝子の働きがないから、SMA(脊髄性筋萎縮症)といえます。
それは予定通りなんですが、SMN2遺伝子のコピー数が3というので「あれ?」と思いました。
なぜなら、これまで私はSMAⅠ型のウェルドニヒ・ホフマン氏症であると思っていたからです。
I型SMA患者さんの約80%が1または2コピーのSMN2を保有しています。
(引用:TOGETHER IN SMAのSMNの概要のページの下部より)
その診断がされたのは約35年前です。
私が2歳の頃です。
どうやら当時のSMAの分類は、今のとは違うのかもしれません。
あらためて自分の発症と当時の運動レベルを探ってみました。
すると、Ⅱ型とⅢ型の間くらいといえそうです。
私の親の記憶によると、1歳半の頃に私は自分でわずかにでも歩いていたようです。
そして、歩き方がおかしかったので発症に気づいたとのこと。
私の古い記憶では、歩いたことは覚えていませんが、自分で立てたことはぼんやり覚えています。
自分の病名がこれまで思ってたのと違ったことは、けっこう衝撃でした。
でも、だからといって何か大きな影響があるわけでもなく、まあいいかという感じですけど。